最初のうちは元気があるから書けるんだよねぇ。調子に乗ってもう一発。
思えば小学校に上がる前から日東のガメラやガッパ、イマイのサンダーバードなんかを兄貴の影響で作ってた。もちろん色なんか塗らないし、接着剤もはみ出しまくり、ガッパはその日の気分でオスとメスの頭をもぎ取って付け替えてた。
小学校のころは親戚に遊びに行くとおじさんが小遣いくれるので近所の駄菓子屋に行って100円か200円くらい(だったと思う)の車を買っておじさん家で組み立ててた。
高学年になるとやっぱり兄貴の影響でMM(タミヤのミリタリーミニチュアシリーズ。戦車や兵隊さんなんかね)に手を出しはじめた。色を塗り始めたのもこのころ。
たまに親がでかいのを買ってくれるって言うので、よせば良いのに1/12スケールのタミヤのフェアレディ240ZGなんかに手を出してえらい苦労したりもした。
中学にはいるとタミヤニュースやパチッ(模型の写真を投稿したのを集めて冊子にしてある)の影響で小改造を始めた。兵隊さんの手足を着け変える位だったけど。
高校にはいると、天体写真のために買ってもらったカメラで情景写真を撮り始めジオラマに手を出す。ただの一面の砂漠だったりしたけど。
そういえばウチの学校はバイクがOKだったので(このころは3ない運動とかあったんだよねぇ)原付がはやってて1/24のモンキーリミテッド(今井だったっけ?)とかも作ってたなぁ。
ここでガンプラの洗礼を受ける。おいらはただでさえも手が遅くガンダム作るのに半年以上かかったり(下手に可動増やそうと改造するからだけど。Gアーマーなんて確か1年以上かかった)したおかげで、作品は数点しかない。
この勢いでラムちゃん(うる星☆やつら。これは出来が悪くて閉口した)、ミンキーモモ(これは出来がよかったなぁ)、ゴールドライタンなんてのも作ってた。Gライタンは親戚の子供に上げようと思って作ったんだけど、苦労して完全変形にしたのに一日で壊されたらしい(笑)。
で、いよいよ就職先を決めなきゃならんと言うことで、模型の道ならやっぱタミヤかなぁとか思ったんだが、当時の新潟住まいの青年には静岡はあまりにも遠い異郷の地だった(笑)。それで模型と同じく好きだったモデルガンの道へ進むべく某社へ手紙を書き面接~合格!結局この会社は数年で辞めてしまったのだが、この話は別のときに気が向いたら。
社会人になってからはますます手が遅くなり、挙句の果てにファミコンにはまってからは、他にもたくさんあった趣味をすべてやめてまでファミコン三昧の毎日を送り、模型に出戻るまで10年近くかかってしまった。
それでも出戻ることが出来たのは、今考えると最初の会社で出会った友人Kのおかげかも。彼はおいらと同じくファミコン三昧だったにもかかわらず、他の趣味もやめないで続けていた。遊びに行くといつも新作が飾ってあり、飛行機を得意としていたせいもあっておいらには想像も出来ないくらいの手わざで工作、塗装を仕上げていた。彼の作品にいつも刺激を受けていたために模型から完全に離れないでいられたのかもしれない。
彼には感謝すべきなのだろうが、些細なことから誤解を受け、意見が行き違ったままもう十年以上会っていない。今考えればお互いが意地を張り合っていただけだと思うのだが、もはや連絡を取るすべもない。
こんなことをダラダラ書いてしまうのは歳とった証拠かねぇ。
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